聖林院は

別名、難を転じる南天寺とよばれています・・・。

聖林院は、黄檗宗大本山萬福寺の塔頭寺院です。
萬福寺は中国から渡来された隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の尊崇を得て、1661年に開創、日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つとして知られております。
宇治の地名にもなった黄檗の地は自然豊かなまちです。聖林院は、この街の歴史と文化を次代へつなぐため、そしてお寺を介して新しいコミュニケーションが生まれることを願って皆さんと一緒に取り組んで参りたいと思います。
当山は、みみづく地蔵尊発祥のお寺です。みみづくさんは知恵を司る神様として、また人々の声を普く聞いてくださいます。また、別名南天寺とも呼ばれております。(難を転ずる)そして希少な日本タンポポが自生し、アジサイやもみじ、さくら、日本水仙等,四季を彩る植栽が魅力のお寺です。
毎月24日はみみづく地蔵尊法要=みみづくさんの日=です。また、毎週火曜日の午後からと、毎月8日も山内開放しております。
どうぞ、皆さんでお参りください。参拝無料
☆みみづく地蔵尊(南無耳就地蔵菩薩)
祈願として、写経奉納もいただけます。

由 来

「賀廓山禅師改不二庵為聖林院」廓山道昭(1640〜1717)
木庵嗣法者、46名。内慧極二番目、廓山三十五番目。道号廓山。
法諱道昭。出雲大社の人俗称は杉原氏。寛永十七年出世。
 十四才のときに曹洞宗で出家され、十九才、行脚遍参に向かわれた。その後、木庵に参謁されて会下に入れられた。延宝五年(1677)には、黄檗第二代、木庵の役寮に入られ当時監寺であった別山道徹のもとで副寺となられ、そして翌年六年十月に監寺になられた。黄檗三代慧林住持就任にも、留まって監寺をされていた。四十一才のときであった。天和元年(1681)十一月慧林示寂のあと。都寺として翌年正月十四日黄檗四代独湛の晋山まで、本山を看守された。
ついで、青木重兼より不二庵を譲られ、廓山道昭は不二庵を改めて聖林院として住された。
青木重兼は寛文七年(1667)将軍家綱より本山に銀二万両と西域木が寄進されて、大雄宝殿が建立されるに当り、造営奉行に任命され、この時、黄檗山内に不二庵を建立し、留雲亭を構えて住された。
これが不二庵の初めである。そして廓山道昭は聖林院に住していたのであったが、法兄である慧極道明に譲ることとなった。なぜ譲られたかは不明です。廓山道昭五十四才(1693)元禄六年伊勢一志郡小阿坂村の東明山景徳寺中興開山となる。黄檗四代独湛の第六開戒、第七開戒、黄檗五代高泉、第八開戒にいずれも尊証阿闍梨となられた。
また元禄九年(1696)江戸瑞聖寺の第四次黄檗三檀戒に羯磨阿闍梨となる。また、瑞聖寺第五代住持に選任され、晋山開堂、同十一年(1698)十月黄檗代六代千呆の登城を迎え翌年四月には六十の祝寿を受けられ、その後、瑞聖寺を退山され景徳寺に隠棲した。
享保二年(1717)十一月八日示寂。世寿七十八才。景徳寺に塔した。瑞聖寺開山、木庵。景徳寺開山、廓山。二ヶ寺は単位している。
参文献近世黄檗宗末寺帳集成・黄檗文化人名辞典・黄檗文華117号
聖林院第15代 徹宗智源  44世 記
〜「聖林第7号」より抜粋いたしました〜

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